丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)では2021年6月6日(日)まで「まみえる 千変万化な顔たち」を開催しています。
この展覧会の参加作家のひとり、髙山陽介さんに今回の出品作を中心にどのように「顔」を捉えて表現されているのか、お話を伺いました。


インタビュアー・文/島貫泰介
撮影/福田ジン


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まみえる展設営現場にて

展覧会のテーマである「顔」についての第一印象は?

髙山
彫刻ではそもそも「顔」という言い方をあまりしないんですよね。頭部像とか首像とか、首から上の物体として捉えています。

ー出品作である「無題」シリーズについて教えてください

髙山
始めたのは2011年あたりからで、きっかけは実家の押入れを掃除中に見つけた粘土の自刻像でした。それを見たとき「兄貴がつくったんだろうな」と思ったんですよ。兄そっくりだったから。でもよく見て見ると、じつは中学生の頃に僕がつくった、僕自身の自刻像だったんです。当時は兄との関係が険悪で、生活空間を一緒にしてたものだから、嫌でも視界に入ってきてムカついてました。その認識が、自刻像であるにも関わらず兄そっくりの首像を僕につくらせたような気がします。
そこから「人を見る」ってことに興味が出てきました。目の前にいる人の顔を見てるつもりでいるけれど、実際に見ているのは自分のいろんな経験や思い込みが薄膜のように覆った顔かもしれない。そういったことをかたちにしてみたいと思ったんです。

ー自分の経験を彫刻に含める作業は他の作品でもやっていますね。犬の後を追って現れた女性を彫った人物像は印象に残っています

髙山
今回つくったキャッチャーマスクをかぶったような首像も近いですね。あれはフェンス越しに見た顔を彫ったものですけど、記憶が曖昧なので、フェンスの向こうに見えたものがたまたま人の顔に見えた、という経験かもしれない。フェンスを境界に向こうから何かがやって来るみたいな。
ちょっとドレッドヘアー風の作品は素材の一部にはまぐりの貝殻を使っていて、あれははまぐりを煮出したスープを飲んだときのあまりの美味しさに感動した経験にちなんでいます。いっぽう髪っぽくなった部分はアケビの蔦を使っていて、スタジオの周囲に自生しているアケビの繁殖力に感心して使いました。この首像はずいぶん前につくったもので、最初はイマイチな仕上がりだったんですよ。それで12年放っておいて、ある時また制作を再開しました。だから、はまぐりとアケビはそれぞれ異なる時期の経験からつくられたものなんです。

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さまざまな経験の時間が混ざったり積み重なったりして作品ができている

髙山
ドローイングを設計図にして一直線につくる作品もあるんですけど、うろちょろ迷いながら同時平行で複数の作品に手を入れてるのが、自分にとっては自然な制作方法。だからずっと同じことを繰り返してる気もします。友だちから「何体つくったら気が済むの?」と聞かれて、てきとうに「100体」と答えましたけど、いまが70数体目なので目標までもうすぐですね。もうちょっとやってみようかなって思ってます。

コロナ禍で人の顔の見え方もだいぶ変わりました

髙山
そうですね。自分は窃視的に人の顔を見るだけなので大きくは変わらない気もしますが、マスクで顔の半分が覆われていることの方が日常になっているから、さすがに感覚がウブになってきます。マスクを外して食事してる人を見ると、思わず凝視してしまいます。以前より口が生々しく感じられる。
日常的にZOOMでコミュニケーションをとるようになって、顔の見えない相手と話す機会も増えました。そういったことが自分の作品に新しい影響を与えるかはわからないですけど、漠然と思うのは、化粧もマスクも顔を覆うもので「なんだかんだ言って人間は普段から顔を覆ってるなあ」ということ。レディー・ガガのマスクは随分攻撃的なデザインしてますけど、あのデコる感覚は面白いですね。顔を覆うことの連続、積層していってるって言うのかな。


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《創造の広場》前にて


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「まみえる 千変万化な顔たち」