猪熊弦一郎について About Genichiro Inokuma
プロフィール
1902年 | 香川県高松市生まれ。少年時代を香川県で過ごす。 |
1921年 | 旧制丸亀中学校(現 香川県立丸亀高等学校)卒業。 |
1922年 | 東京美術学校(現 東京藝術大学)に進学。藤島武二教室で学ぶ。 |
1926年 | 帝国美術院第7回美術展覧会に初入選。以後、第10回、第14回で特選となるなど、1934年まで主に帝展を舞台に活躍する。 |
1936年 | 志を同じくする伊勢正義、内田巖、小磯良平、佐藤敬、三田康、中西利雄、脇田和、鈴木誠と新制作派協会(現 新制作協会)を結成。以後、発表の舞台とする。 |
1938年 | フランスに遊学(1940年まで)。アンリ・マティスに学ぶ。 |
1948年 | 『小説新潮』の表紙絵を描く(1987年まで)。 |
1950年 | 三越の包装紙「華ひらく」をデザインする。 |
1951年 | 国鉄上野駅(現 JR東日本上野駅)の大壁画《自由》を制作。 |
1955年 | 再度パリでの勉学を目指し日本を発つが、途中滞在したニューヨークに惹かれそのまま留まることとし、約20年間同地で制作する。 |
1973年 | 日本に一時帰国中、病に倒れる。 |
1975年 | ニューヨークのアトリエを引き払う。その後、冬の間をハワイで、その他の季節は東京で制作するようになる。 |
1989年 | 丸亀市へ作品1000点を寄贈。 |
1991年 | 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館開館。 |
1992年 | 所有するすべての作品などを丸亀市に寄贈する趣旨の文書提出。以降、順次丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に搬入。 |
1993年 | 東京にて死去。90歳。 |