常設展について About our Collection
当館の常設展では所蔵する猪熊弦一郎の作品をテーマに沿ってご紹介しています。
◎常設展ご鑑賞の手引き
好奇心旺盛で新しいものに積極的に挑戦する姿勢もあり、猪熊の作品は約70年の画業の間、次々と変化しました。しかし、目に見える部分が変わっていったのは、いつも変わらず「絵として美しいもの」を描きたいと思っていたからこそでした。猪熊が絵を描くうえで大切に考えていたことを、残された言葉から探ってみましょう。
「美しい」ということ。さらに「絵として美しい」って、どういうことなのでしょうか。猪熊が考える「美しい絵」とは?
新しい絵画は、だから単純化され影も日向もひとつの色面として利用する。
つまり、左から光線があたつているからとて必ずしも右側に影をつける必要はないのである。自然の模倣としてヾはなく、影はひとつの重要な色面として考えられ、画面の均整(ヨミ:バランス)に参与する一色素として受入れられる。
だから影を左側においても、絵として美しければそれが正しいという事になるのだ。
抽象絵画(ヨミ:アブストラクトアート)の場合、均整(ヨミ:バランス)の為に一つの影(色面)を幾つかに砕いて、画面の各所に分散させる事すらありうる。
画面の深さの為、均整(ヨミ:バランス)の美のためならいまや絵に於て凡ゆる解体が可能なのだ。
要は、絵として美しい事、それが唯一の目標なのだから。「色と形」『別冊アトリヱ第1集』1949.10 41‐47pp
自分がどんなにうまく花が描けても、ほんものの花の方が美しい。ところが、僕らは人間のつくつたものの美しさ、人間でなければできないものの美を求めているのです。そのためには抽象形態も結構、ものから取材しても、ものそのままではない何か自分の意志から生れた色なり、形なりがより美しいという時代が必ずくると思ふ。
「猪熊弦一郎氏と語る」佐波甫『教育美術』12巻1号 1951.1 12-20pp
美しいということは、ただ花が咲いている、バラが咲いているというものではない美しいことがあるわけです。バラの花を見て美しいと思うことは誰にでもわかる美しさですが、それ以外の美しいということは何だろうということを考えますと、結局シンプリシティー、物を簡単にする、単純化する、色々なものを除けてしまうということと、それをどういう風にコンポーズするか、組み立てていくかということです。
「美はいずこに」『SPIRIT』No.31 1990.3 210-214pp
私は、美とはひっきょうバランスだと思う。コンフュージョン(混乱)とオーダー(秩序)は何処の世界にも絶えずあるがこれは表裏一体のものだ。絵もつきつめていけば、そういうことになるのではないかと思う。いい絵は、どんなに乱暴な描き方にみえてもちゃんとした秩序がある。色、形、重さ、軽さ。そういういろいろなものの調和がとれている。具象にしても抽象にしても、絶対にそういうものがなければいけないと思う。
「勇気」『私の履歴書』丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、財団法人ミモカ美術振興財団 2003.4 6-9pp
猪熊は、「新しい美」もまた追求していました。「新しい美」って、何でしょう?
そうね、きっとみなさんはぼくらの絵をみて、どうしてあんなものをかくのかと思ったでしょうね。それは人間には考える力があるからです。それがないものは写真などのような機械になってしまいます。たとえばこのコップです。(と目の前のコップを手にとる)これをそのままかくと機械の目になるのですが、いろいろ考えてこのなかに花を浮かせたら美しいなあと思う人もあるでしょう。そう思ったらその人は水のなかに花をかくかも知れない。またA君はコップのなかにクジラを泳がせてみたらどうだろうなあと考えるかも知れません。どのように考えてもそれはその人の自由なわけです。そこに創造(ヨミ:そうぞう)というたいせつな問題があるのですよ。展覧会の作品はぼくらがそうして考え、新しいものをさがしもとめている姿なのです。
「歩く教室②美術館見学−絵の見方かき方−」『少年朝日』1950.12 19-23pp
新しさということは自分です。自分を一番出したものが新しい。昔とか今とかいうんぢやないのです。他人の持たないものが出る。それが新しいということです。
「猪熊弦一郎氏と語る」佐波甫『教育美術』12巻1号 1951.1 12-20pp
形を単純に単純にと突き詰めてゆくと、最後は形が無くなって、先程の白いキャンバスになってしまうんですが、しかし何も無いのは絵じゃありません。「夢中になって描いている時ハッと気が付いて悟る物、世界に二つとない新しい自分だけの物、これが本物のクリエイションなんです。
「ホノルル美術館 抽象画家 猪熊弦一郎絵画展“真の芸術とは独自のクリエイション”」『EAST-WEST JOURNAL』 1982.2.15 12p
猪熊は絵を次のように見てほしいと思っていました。それは、とても簡単なことなのです。
絵をみてみんなが楽しく思えば、それだけでその絵は人々によろこびをあたえているわけです。
「歩く教室②美術館見学−絵の見方かき方−」『少年朝日』1950.12 19-23pp
画家が赤だの青だのいろいろの色を、一つの画面にまとめてかくというのはコンダクター(指揮者(ヨミ:しきしゃ))のようなものなんです。赤や青がてんでにでたらめな音楽をやっていては困るんです。また音楽なら言葉はわからなくても、なんとなく楽しい感じをうけます。言葉なんかわからなくても楽しいことがわかればいい。絵もそうです。何をかいてあるのかわからなくても、美しいというのがわかれば、それがいちばんいい絵のみかたです。
「歩く教室②美術館見学−絵の見方かき方−」『少年朝日』1950.12 19-23pp