アーティスト・井上涼が美術館での過ごし方という難題に向きあい、作家として一つの答えを提示したアニメーション「ビフォアミモカ」。YouTubeでの公開以降、子どもから大人まで、多くの方に視聴され、愛されています。
「ビフォアミモカ」公開から1年、井上さんに制作過程や美術館、猪熊弦一郎について振り返っていただきました。

井上涼
「ビフォアミモカ」は私の小さな挑戦のかたまりでできた作品です。生涯、作品をつくり、変化しつづけた猪熊弦一郎を取り上げるのだし、やったことのないことを私もやっていこうという気持ちが制作の最初から最後までありました。

その表れの一つが主人公ミモミの垂れた前髪(?)です。この前髪がついていることで作画の手間がひとつ増えるのですが、これによって前半の家にいるミモミの生活感を足しています。私のアニメ作品は一人ですべての絵を描くため、主人公となるキャラクターの造形は可能な限りシンプルにしなければいけません。「この前髪くらいなんだ」と思われるかもしれませんが、これがあることで作業量は予想外に増えるためリスクなのです。

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最初につくるキャラクターデザインの一覧。右の髪型のミモミは登場しませんでした


MIMOCA(ミモカ)に来館することをためらっている方や、実際に来館したけど、どう過ごしていいかよくわからないと思っている方たちに向けた、入口になるようなアニメの制作を」というのがこの仕事での最初の依頼だったと記憶しています。美術を歌とアニメで紹介する仕事を数年来やってきていた私は、「美術ってよくわからない」「興味はあるけど何からふれていいのかわからない」という人々の声をたくさん聞いてきました。その声の集まりをキャラクターにしたのがミモミです。
ミモミは、20代後半〜30代前半で、会社勤めをしながら一人暮らしをしています。リラックスできる家をつくることに収入の多くを費やしていて、でも休日に美術館に行くようなこともしてみたいと思っている。私のアニメは基本的にファンタジックなので、生活感を出すことが難しいのですが、こうした人物像を表現するための工夫のひとつがこの前髪でした。「買い物帰りに買い物カゴをさげて美術館に来てほしい」(※)といったことを猪熊弦一郎は言っていたといいます。そこで意図された親しみやすさ・気安さのようなものをアニメの中から感じてもらうためにこの前髪が大事でした。

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ミモミの髪型を検討している段階のラフスケッチ


もうひとつ書いておきたい挑戦には、MIMOCA館内をできるだけ詳細に描くことにありました。「美術館は心の病院」と書いた猪熊弦一郎の文字がMIMOCA館長室に飾られています。

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猪熊弦一郎(1902-1993)による直筆

その言葉の厳密な意図を私は知らないのですが、おそらく、つかれた心を治す手助けをするような美術館でありたいという猪熊の願いは強かったのでしょう。その願いからできたMIMOCAの館内にいると、たしかに心の波がしずかになり訳もわからずとも回復していくような感覚になります。これはひろびろとした建物のつくりや、展示作品どうしのたっぷりとした間隔、さしこむ外光、床の素材など、館内のあらゆるものが作用してのことだと思います。これらのディティールをアニメの中でもできるだけくわしく紹介したくて絵に描きました。

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館内を描くための資料写真。階段の数を数えるために数字を振っています


ただ、これがとても難しく時間のかかる作業でした。基本的に、MIMOCA館内はシンプルな直線によってできているのですが、その直線たちの交じり方が独特で、似せて描くのが難しいのです。また窓からの柔らかい外光と照明の光があわさってできているぼんやりとした明るい色味を、私のパキッとした色調のアニメの中で表現するのにも苦心しました。
これを書きながら思い出したのですが、エントランスにある椅子、「ワシリーラウンジチェア」はパイプが前に出たり後ろに引っ込んだりと複雑な作りをしていて、特に描くのが難しかったですね。完成したアニメでは目立ちませんが、そうした細部をできるかぎり入れました。この美術館の持つあっけらかんとした気持ちよさ、いやすさを感じさせたかったのです。


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実際に描いた背景画。ワシリーラウンジチェアは最後に描きました


最後に書いておきたい挑戦は「美術を鑑賞すること自体をアニメにする」ということです。猪熊作品を実際に見て、ミモミがふむふむと何かしらを考える、終盤の場面。美術鑑賞はほとんど動きがないので、動かすために作るアニメにとっては難しい行為です。また、鑑賞者の内面で起こることはさまざまで、複雑で、それを短い時間のアニメで表現するには「向いてない」と言っていいと思います。しかし、ここでひとつの鑑賞体験の例を見せることが大事だとも思いました。自分以外の人がどんなふうに考えて作品を見ているのか、それを追体験することはあまりないので、そのことが「私の絵の見方は間違っているのでは...」という思いを起こさせる、それが美術を敬遠するひとつの要因だと考えていました。ですので、架空の人物ではありますが、ミモミがたどる鑑賞の道すじをアニメの中で共有することで、「こういう見方でもいいんだな」と思ってもらいたかったのです。まあ実際にはもっと思考に雑味がまじっていて、「あの人に連絡しなきゃ...」「おなかすいた...」とかみんな考えながら絵を見ていたりするのだと思いますが。猪熊弦一郎の作品はタイトルの言葉がおもしろいので、想像をふくらませるいいきっかけとなります。そこを起点にしながら、鑑賞体験の「アニメ化」をすることができました。
他にもいろいろな挑戦があったのですが、文字数が尽きたようです。猪熊弦一郎の残した作品や言葉やMIMOCAという場所が、こうした挑戦をさせたのですから私は感謝しなければいけません。

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美術鑑賞シーンの絵コンテ。作業は非常に遅れご迷惑をおかけしました




■プロフィール
井上涼(いのうえりょう)
兵庫県生まれ。2007年に金沢美術工芸大学デザイン学科視覚デザイン専攻卒業。卒業制作「赤ずきんと健康」がBACA-JA2007佳作受賞。2013年より「びじゅチューン!」(NHK Eテレ)放送開始 。


美術館設立についてインタビューを受けた際の猪熊弦一郎の言葉

「自由にお茶をのんだり、音楽をきいたり、本も読める設備が出来る。そこにはスーパーマーケット帰りの奥さんが、買い物袋をさげたまま入っていいわけ。(中略)気軽に普段の生活のまま美術に接近できるようにしたい」 
「猪熊弦一郎 人と作品」、『アート・トップ』119号 19901011合併号 芸術新聞社発行 p.104



◎関連リンク
MIMOCA × 井上涼 アニメーション「ビフォアミモカ」

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